バラック好きな建築家?

building

タイトルをそのまま読むと建築家は皆、バラック好きの様に思われそうですが、もちろんそう言う事はありません。バラック建築(と言うべきか?)が好きな建築家もいると言うだけです。その中に自分が含まれているかと言えば、自称すればそうかもしれません。いえ、何を隠そう実は結構バラック好きです。

バラックと言ってもいろいろあると思いますが、本当にバラックと言うよりバラックっぽいものが好きと言った方が本当かもしれません。古びた小屋だとか、レトロなアーケードだとか、市街地の増築を繰り返した住宅だとか。公然とバラックなんて呼んだら失礼なものもありますが。。。建築の法律に照らし合わせると、もしかしなくても違法?みたいなものは、実際世の中に沢山見かけるはずです。しかし、そうしたものについ惹かれる傾向があることを否めません。

しかし、僕自身を含めバラック好きな建築家にバラック建築は設計できません。バラッキーな建築作品と呼ばれそうなものはもちろんありますが、やはりそれはホンモノではありません。バラック建築の多くは、おそらく、たぶん、設計図はないのですから。もしあったとしても、時間の経過によって元々の設計図が意味を成さなく無くならないとバラック建築として成立しないと思うからです。
設計図に描かれた材料を揃えて構築されるのでは無く、その時その場で手に入る材料を工夫して使う。設計図にいくら丁寧に描かれていたとしても、機能的に使いにくいから(場合によれば、使いにくたって本人の意思により)自由に移動させられる。そんな無秩序でありながら、実は意味のあるものにならないといけないからです。設計者がいくらバラックっぽく絵に描いたとしても、法律に縛られたり、数字に縛られたり、実際の生活者や使用者の真の要求に応えられる訳がありません。またそれは、個人とは限らないこともあります。
理屈をいくら浮かべても、 そもそも設計士として活動する人間が、秩序は無く意味のあるものを理解できると思えないのです。法律やら工学やらを仮にも勉強している人間が、それらを無視もしくは否定しながらものを作るのはきっと苦痛です。ちょっと整理が苦手なことと、無秩序であることは、まったく次元の違う話だと思うからです。

だから憧れるのかもしれません。人が生活するなかで発生する生きた建築の要素こそが、僕が憧れるところだからです。本質として人の泥臭い部分かもしれませんが。
街を歩いればときどき釘付けになる古い建物があります。なぜか凄みのある、そんなものが作れる筈は無いと知りながら、やはり憧れています。 

しかし、そうした建物や施設はつぎつぎ取り壊され無くなって行きます。レトロ趣味なだけかもしれませんが、見過ごされるそうした遺産を少しでも記録しておきたいなと、最近よくそんな思いで眺めています。

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