車窓の外に

生活していれば損得勘定は働くものだと思うが、
いろんな場面で、一体誰が、何を、どう決めるのかは本当にムズカシイ。
好き勝手にすれば何とでもなるのを、それでは混乱するばかりだから、
共同生活(社会)と言う殻の中で、各自が自制するために法律はある。だが、
一体誰が、何を、どう決めたのかは本当にナゾが多い。
ナゾが多くて分かりかねるから、判例という過去の遺産に照らし合わせる。
法律はガンジガラメにすると、ギクシャクしてうまく廻らない。
うまく行かないからと言って、出来心や法律違反は潤滑油になると言えるものでもない。
自己責任と言えば一見聞こえはイイが、結局自分の都合の良い様にネジマゲている。
建築の法律の中でも、緩和という言葉が度々でてくる。
要はうまく作用しなかったか、うまく言い切れなかったから、
法律も改正?をしながら逃げ道を作っておかないと、社会に適応できなくなる。
昔は良くても、今は通用しないことも数多い。
商売柄、こうした微妙〜なケースや相談は度々出くわす。判断に困る事も多い。
偽装で構造耐力の足らない建物は、直ちに撤去すべきなのか?
そうするのが社会の模範になる事は間違いなくとも、それを糧にして生活していた人もいる。
故意な話は別として、ハイハイ壊しましょう、なんて勇気ある発言はなかなか出来るものではない。
そんな極端な例は稀な事としても、電車から見える建物の一体どれだけが遵法されているのか。
やったもの勝ちの逞しい?人間もいれば、まじめを通して泣きを見る人間もいる。
やったはイイがどうにもこうにも拉致が空かずに、首を絞めるものもいる。
そんなことしながら、みんなで生きてるんだよな〜。
なんて考えながら、車窓の外に流れる風景を楽しみます。

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